10月末日付、タッキーこと滝沢秀明氏がジャニーズ事務所を退任しました。
報道では円満退社とされていますが、急な辞任であり本人からのコメントがない現状。
世間はこの報道に疑心暗鬼に駆られています。
たっきーの退任について4つの説が浮上しています。
そこで今回は、タッキーが辞任を決意した真相を見ていきたいと思います!
タッキー(滝沢秀明)の退任までの経緯を時系列で
画像:Bingより
いきなりの退任報道に驚いた方も多いと思います。
重責を担っていた立場でありながら、あっという間にジャニーズを去ってしまったタッキー。
ちになみに、タッキーの肩書は・・・
- ジャニーズアイランド 社長
- ジャニーズ事務所 副社長
ジャニーズの柱となるような人物でした。
タッキーが辞任の申し出をしてから退任するまでを時系列でまとめました。
9月中旬 | 滝沢秀明氏より退任の申し出。(引き止めるも無理) |
---|---|
〃 | 藤島ジュリー景子社長がいのっちに打診 |
〃 | いのっち家族会議の上、承諾 |
9月26日 | 役員会議で承認。アイランド社長交代。 |
10月初旬 | 滝沢秀明氏と井ノ原快彦氏が面談 |
10月末日 | タッキーがジャニーズ事務所の副社長を退任 |
2018年にタッキーは表舞台から退き、ジャニーズの№2の地位に就きました。
その翌年1月、ジャニー喜多川氏が亡くなった後、その意思を継いでジャニーズアイランドの社長に就任。
人材発掘・育成・演出に尽力を注ぎました。
タッキーが裏方に回ってから3年10ヶ月。
彼に辞任の決意をさせた理由は何なのでしょうか・・・
タッキー(滝沢秀明)の辞任の真相に5つの説
画像:Bingより
気になるのがタッキーの辞任の理由が明かされていないこと。
真相が分からないから憶測が拡がります。
タッキーの辞任の理由に下記のものが上げられています。
- 藤島ジュリー景子社長との確執
- やりきって一区切りついた
- タッキーが限界に気づいた!?
- タッキー痩せた?健康不安が理由?
- 重圧と孤独奮闘
これが本当なら円満退社の要素がどこにあるのやら??
1.藤島ジュリー景子社長との確執
世間の大半の人はタッキーの辞任はジュリーさんとの確執が理由だと思っているはず。
以前より「ふたりは意見が合わない」や「水と油の関係」と囁かれていました。
もともと同族経営だったジャニーズ事務所に、外の人間のタッキーが入るのも難しかったと思います。
そんな状況の中、タッキーは素晴らしい功績を残しています。
しかし、納得いかなかったことも多かったのではないかと推測できます。
- タッキーが営業活動に励むと、ジュリーさんとしては自分の領域を侵されていると感じる
(元々タレントのブッキングはジュリーさんの力が大きかった) - 厳しいジュリーさんと対照的で社内ウケの良いタッキーが気に入らない
- メリーさんが亡くなってからタッキーとジュリーさんの確執が隠しきれなくなった
- いつまでもマネージャー扱いにタッキーがしびれを切らした
参考:Businessjournalより
これまでのジャニーズの手法とはまったく違う、新しい取り組みを推進したのはタッキーだった。はたからみれば成功といえるが、こうした新しい試みに対しては経営陣のなかでも反発があったようで、タッキーと他の幹部の間で軋轢が生じていた。
出典:Businessjournalより
軋轢(あつれき)は仲が悪くなること
会社なので意見が異なることは多々あると思いますが・・・3年かけて溝が深まってしまった??
2.やりきって一区切りついた
タッキーの辞任の理由に「やりきったから」「区切りがついたのでは?」との推測の声があがっています。
11月1日の「スッキリ」で加藤浩次さんが
とコメント。
タッキーが手掛けてきたグループが日の目を浴びたことで、役割を果たしたと感じたのかもしれません。
主演してきた舞台「滝沢演舞城」「滝沢歌舞伎」に長く出演してきたSnow ManやSixTONESが20年に同時デビュー。今ではブレークし若手の人気グループとして勢いに乗っている。さらに10月28日には、Travis Japanがジャニーズ初の全世界配信デビューを果たした。Travis Japanにデビューを伝えたのが8月下旬。長く目をかけてきた秘蔵っ子たちを巣立たせるめどがついたようなタイミングで、9月中旬に退任を申し出た。
出典:日刊スポーツより
タッキーは、Travis Japanの全世界配信デビューまでなんとか踏ん張っていたのかも!
3.タッキーが限界に気づいた!?
これはジュリーさんとの関係性の話にもつながります。
タッキーにやりたいことがあっても、ジュリーさん次第で話が進まないジレンマに陥るという状況があったようです。
「要は、ジャニーズ事務所はしょせん喜多川家の同族会社で“ジュリーさんのもの”であるという現実に、タッキーが気が付いたということ。いくらタッキーがジャニーズの海外展開や社員の待遇改善、同族的経営からの脱却や経営の近代化などの改革をしようとしても、ジュリーさんが反対する限りは何も進まない。
出典:Businessjournalより
タッキーに限らず一般人も、このような事が度々あると組織から出たくなるものです。
個人で活動か個人事務所を設立か・・・
自分のやりたいことが実現できる環境に身を置きたくなりますよね。
4.タッキー痩せた?健康不安が理由?
辞任の理由に健康不安を取り上げた紙面もあります。
以前に比べて頬がこけた時期があったようです。
ジャニーズのためにひとりで何役もこなしていたタッキー。
さぞかし超多忙な日々を送ってきたことでしょう!
19年7月にジャニー喜多川氏が死去後、同年秋から冬ごろにはとても痩せていたようにも見えた。演出を手掛ける舞台やミュージカルの準備などが重なった今年初夏にも、やはり頬がこけて顔つきが変わったような時期があった。
出典:日刊スポーツより
滝沢氏の体調を心配する声もありましたが「まだまだやらなければならないことがある」と大丈夫だと回答していました。
やらなければならないことが一段落したら、心身共にどっと疲れが出てしまったのかもしれません。
5.重圧と孤独奮闘
ジャニー喜多川さんとメリー喜多川さんが亡くなったことも大きかったと思います。
残されたジュリーさんとタッキーは水と油のような関係と言われており、後ろ盾がなくなってしまった後は何かとやりにくかったことでしょう。
身を粉にして奮闘してきた滝沢氏だったが、ひとりで背負うものの大きさは想像以上で、重圧との戦いだったのではという見方もある。東西合わせ約300人もの大所帯のJr.を抱えながら、ジャニーズは常にトップに立つことを求められる。
出典:デイリーより
奮闘の中、たくさんの功績を残せたのはタッキーの手腕ですね!
タッキーに限界が来た?やっぱり何かあった?
画像:Bingより
タッキーの退任が急だったことを察するエピソード。
- 「滝沢歌舞伎ZERO」の海外公演のプランを語っていた
- 退任のやりとりは弁護士(代理人)を通じておこなった
今年4月には、Snow Manが主演し演出を手掛ける「滝沢歌舞伎ZERO」の海外公演のプランを、本紙などに具体的に語っていた滝沢氏。
出典:デイリーより
今年の4月に「滝沢歌舞伎ZERO」を海外へ持って行く目標を語っていたとのこと。
この時点ではきっと辞任のことなんて考えていなかったはずです。
辞める予定がある人間はこのような話はしないと思います。
そして今回の退任については弁護士を通して行ったというから・・・
「絶対辞める」という意思の強さが伝わります!
これは何かあったか、ほかにやりたいことが出来たか・・・
タッキーの中に転機が訪れたようです!
その選んだ道、いつか詳しく教えてほしいですね。
そして、全力で今のジャニーズをつくってくれた滝沢秀明さんに感謝申し上げます!
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